上掲写真/昭和39年同期会記念CD
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● 弥生小学校考察
下の文は重複となるが、弥生小学校の建築の特徴を竣工当時の図面を使って説明を加えたい。
下の図面の下が東坂、上が弥生坂、右の道路を北側道路に当たる。
弥生小学校は東坂・北側道路・弥生坂側に面する教室棟部分が、校庭を南側に抱え込むようなコの字形をしていて、東坂側は校舎の終端が直接体育室につながり、弥生坂側は渡り廊下によって体育室につながる構成になっていることが分かる。
校庭は北側道路から1階分スロープで上がったレベルにあり、この校庭から更に1階分スロープで上がると、東坂と弥生坂側に設けられた子供たちの出入口と体育室のレベルになり、校庭とは対照的に木々に覆われた中庭になっている。
この校庭と中庭がちょうど1階分のレベル差を持つために、中庭に接する部分では東坂側の校舎は2階建に、弥生坂側の校舎は1階建に見えることになる。
東坂側はこの高さのまま、ほぼ同じ高さの体育室に連続し、そのために校舎は体育室と一体となって校庭を包み込む形となり、一方、弥生坂側は1階の高さに押えられた校舎終端と体育室が、よりスケールを落とした渡り廊下によってつながれている。
これは下の校庭に立つと、四方が囲まれ閉じた平面計画でありながら、弥生坂側の校舎終端の高さを1階分低くした上に、尚もスケールを落とした木造の渡り廊下でつなぐ巧みな手法、即ち、四方を囲む弥生坂側の一角を低く落とすことで、その先にある弥生坂との連続性が断ち切られるのを回避している。
また、上の段の中庭に落葉高木を植栽することで、デザインの異なる校舎と体育室のデザインの切り替えを和らげると共に、冬は太陽の光を、夏は木陰を提供するよう緻密に計画されている。
この考え抜かれた建築計画に加えて、下の校庭から上の中庭へ、そして更に借景を意識した函館山と弥生坂に向かって伸びるランドスケープの巧みさが乗算され見事な空間をつくり出している。
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この校庭と中庭は次のように考えられている。校庭を地下1階にあたる北側道路のレベルではなく1階レベルに置いた理由は、避難する住民を火焔から守る目的と思われ、この考えはスロープでつながる中庭へと一貫している。
中庭は、東坂や弥生坂から避難する住民を、前とは逆に上の中庭から下の校庭に避難させる断面計画がここにはある。地形的特性を逆手に取り、そして卓越した手腕によって、教育、機能、環境、安全、避難、それらすべてを明快に解決した空間処理は見事である。
災害時に於ける児童と住民への平等な配慮は、この建築と住民そして環境との距離をなくしている。
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▋環境との共生
初めてこの建物を見た時の印象は二つ。
一つは、この建物は一体全体何だろうという印象。
いま一つは、こんな建物がひっそりと建っている、これがこの街の持つ魅力であり底力だなあという印象。
突然目の前に現れた建物に近づくと旧アメリカ領事館跡と書いてあり、その後 「えっ、これが小学校...?!」 という言葉が思わず飛び出した。
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▋小学校と防災拠点を両立させた理想建築
繰り返し説明してきたようにこの小学校は閉じたロの字の平面計画をしている。
しかし、避難拠点としての使命を追求しながらも、環境との共生や自然との融合に並々ならぬ配慮をし、小学校として理想とも思える教育環境をつくり出している。
下の写真は閉じた内側から見たものだが、閉鎖感は微塵もなく、建物は下の校庭と上の中庭を優しく取り囲んでいる。
そして校庭と中庭は函館山の緑と一体となっているのが分かる。
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▋建築の記憶
古い本物の建物だけが持つ建築の記憶、この古いものにあり新しいものにはないもの、これだけは小南武一がつくり残したものではない。
児童と教師と無数の来訪者による数え切れない日常的な活動の蓄積された時間と、積み重ねられた成果が歴史と文化と伝統になり、それが 建築の記憶 となって滲みこんでいる。
この学校の生命を感知し得る神経を育てることは、児童へのしつけとして大切で、そこに無限の計り知れない教育の場と機会がある。
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